日本の海にはアメリカの水爆が今もなお沈んでいるらしい
戦後70年を迎えるということで、一般的にはちょっと知られていないこんなお話。
ベトナム戦争に参加していたアメリカの空母「タイコンデロガ」は、神奈川県横須賀基地に入港するために日本へ向かっている道中、沖縄の近海で水素爆弾(水爆)を落下させる事故を起こしました。
そして、爆弾は今も海底でそのままになっています。
flickr:The Official CTBTO Photostream
池上彰氏によると、これは2009年より自民党政権から民主党政権に交代した後、外交文書が暴露されたなかで判明したことだそう。
しかし他方、1989年5月7日に米誌ニューズ・ウィークが「もみ消し」に関する報道を行い、翌日1989年5月8日には国際環境NGOグリーンピースの研究者らが暴露したとされています。
前から知られてはいたけど日本の公式文書で明らかになったのが政権交代時だった、ということかな?
項目 | 詳細 |
---|---|
時期 | 1965年12月5日 |
水没地点 | 沖縄県沖永良部島の東約300 km |
所属 | アメリカ海軍 |
機種 | ダグラス A-4E スカイホーク |
死者 | 1人 |
現在、日本の国是とされている非核三原則は佐藤栄作が打ち出したものとして当時から存在しますが、おかしなことに事故当時の内閣が第1次佐藤内閣 (第1次改造)。(1965年(昭和40年)6月3日から1966年(昭和41年)8月1日)
そしてこれまた面白いことに、佐藤栄作は非核三原則の提唱を理由にノーベル平和賞を受賞しています。ちなみに佐藤栄作の実兄は岸信介で、その孫は安倍晋三(大甥)です。
沖縄沖で空母『タイコンデロガ』のエレベーターから機体が転落、パイロットとともにB43熱核爆弾が失われ未回収となった。
米軍介入のきっかけとなったトンキン湾事件(六四年八月)のときからベトナム水域で任務についていた空母タイコンデロガは六五年十二月五日、日本に帰る途中、奄美大島の東方海域で航空機の発進訓練中、一メガトン水爆を積んだ艦載攻撃機をパイロットもろとも海に落としてしまいました。
— Juness_Jr (@Juness_Jr) 2015, 5月 22
タイコンデロガって1965年に喜界島の南東150㌔で水爆積んだ飛行機を誤って海中に落としてんの!?!!!!!??
— たかな (@shintetsu1063) 2015, 7月 31
「1965年12月5日、沖縄近海において、米国の空母タイコンデロガから水爆一個が海底に落下して、いまだに回収されていないという事故に関する報道については、日米両政府ともその事実の存在を認めている」……水爆を海に落っことしてそのままってこと??知らんかったの私だけ?常識なの?
— ちょびー (@chobico58) 2015, 7月 30
<並べ替え>
1965年12月5日、喜界島沖で1メガトンの水爆を搭載した攻撃機を海中に落っことしたアメリカの航空母艦は?
Aタイコンデロガ
熊野、空母タイコンデロガ艦載機の空襲を受け沈没
— QMAミリタリー検定bot<艦> (@milibot_kancore) 2015, 8月 2
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