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「熊本城の瓦が落ちたのはワザと!日本古代建築凄い!」→最近建てたRC造でした

Tzuhsun Hsu

2016年4月14日を起点に4月16日にも大きな揺れを観測した熊本地震。この地震で、加藤清正が改築したとされる平山城(ひらやまじろ)の「熊本城」の瓦が沢山剥がれ落ちたのですが、これについて【地震の際に屋根瓦をあえて落ちやすくし、優先的に屋根を軽くすることで全体の倒壊を防ぐ設計なんだとか】という説が伝聞調でツイッターにあがり、沢山シェアされました。

たった2日で24000リツイートもされる破竹の勢い、だったのですがどうやらちょっと話が違うみたいです。

熊本城は戦後に改築されたもの

というのも、熊本城の天守が建築されたのは戦後の1960年で、しかもその構造は鉄筋コンクリート造(RC造)だったのです。

1960年(昭和35年)の熊本国体開催と築城350年を期に、熊本市は一般からの寄付も募り1億8000万円の費用をかけ外観復元で大小天守と平櫓、塀などを再建し、本丸一帯を公園として整備し入場を有料化した。天守は鉄筋コンクリート造りで、内部は熊本市立熊本博物館の分館として史料等が展示され、最上階は展望スペースとなっている。 Wikipedia

城の屋根の葺き方にも色々ある

そもそもの話、この熊本城の天守が戦後に建てられたものではなくて戦国時代・江戸時代から残っていた天守だったとしても、耐震を重視したのであれば瓦葺きにはしていないはずです。なぜなら、天守の屋根の葺き方は瓦に限定されたものではないからです。

実際、昔の諏訪高島城の天守は柿葺き(こけらぶき)ですし、弘前城の櫓(やぐら)はクヌギ葺きで、それぞれ軽量な木製でした。現在はどちらも銅板葺きとなっていますが、それでも銅板葺きは瓦葺きより非常に軽量です。

他にも、大阪城の天守は現在で三代目で、初代天守(豊臣大坂城)の姿は明確には明らかになっていませんが、二代目の徳川大坂城として再建されたものは最上重屋根が銅瓦葺き(どうがわらぶき)で、現存する三代目の昭和復興天守や愛知県の名古屋城、青森県にある弘前城天守も同じ仕様です。これら銅瓦の仕様は、1607年頃に建てられた駿府城の天守が始まりだそう

銅瓦とは、木製の屋根瓦に銅板を張り付けて覆った本瓦型の金属瓦を指します。

今回のデマの影響を受けているのか分かりませんが、「現代建築は昔と違って落ちない瓦で作ってる。だから地震に絶えられずに壊れる」と言ったツイートも見かけますが、それはありえません。

倒壊する建物の多くは1981年の建築基準法施行令改正以前の仕様で、改正以降における許容応力度計算(一次設計)、保有水平耐力計算(二次設計)をせずに設計した結果、筋交いなどを設けた耐力壁が少ないことが原因であることが多く、瓦が振り落とされたかどうかが問題ではありません。
確かに、瓦が乗っているかどうかは構造耐力に大きな影響を与えますが、地震の振動で瓦を落とすという不確定な要素を取り入れた設計はあまりにナンセンスです。

現代建築においても、屋根が瓦葺きの場合は、屋根が瓦の分だけ重いことを想定して構造設計しています

地震がきたらわざわざ瓦が落ちるというアクロバットな耐震構造は、瓦が全て台無しになり非経済的でもあるので、当時の人達にとってもあり得ない選択肢だったのではないでしょうか。

銅の腐食速度は年間0.0006 mm

ちなみに、粘土瓦は非常に分厚いですが、銅板葺きで使う銅板の厚さはたった0.5 mmほどしかありません。

しかし銅板は酸化することによって緑青(ろくしょう)へと変化し、その耐久性・対候性を高めます。日本の場合、沖縄は東京の4倍近く腐食が早いのですが、東京の場合だと銅の腐食速度はたったの0.0006 mm / 年 です。緑青が出るまでの腐食を除いた単純計算だと、0.6 mmの銅板に穴が開くまでに1000年かかる計算です。

このため、銅板を使った屋根は大阪城、皇居、寺社をはじめ、高級な建築で使用されています。

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